案の定、手術までの2週間は毎日朝から夕方までカルシウムの点滴治療でした。日本からすでに両親が来ていたのに、この貴重な時間をほとんど一緒に過ごすことができませんでした。
悪夢の手術前夜
そして手術の前日。この日は朝から、Ambulatory Surgery(外来手術センター)で、肝動脈の塞栓術を行いました。手術時の大量出血のリスクを減らすためだそうです。そしてそのまま入院、ICUに送られました。この日はもうJJと両親には会えませんでした。その夜の塞栓患部の痛みは、耐え難いものがありました。塞栓術ってこんなに痛いんでしょうか。それとも今までの痛み止めの乱用がたたって、鎮静剤の点滴が効かないのでしょうか。看護士さんに何度も量をあげて貰うのですが、痛みは治まりません。この夜ばかりは、あまりの痛さに一晩中あえぎ苦しみました。
手術当日
地獄の一夜が明け、手術当日の朝、病室に麻酔科医がやって来て、いろいろ麻酔の手順について説明しますが、朦朧として頭に入りません。それにしても手術前にJJたちと会えるのだろうか...。そしてとうとう時間になって、オペチームの人たちが迎えに来ました。そして私の乗ったベッドが病室を出ようとしたとき、JJと両親があわてた様子でやって来ました。渋滞で車が遅れたらしく、JJは私を見るなり「もう間に合わないかと思った」といって泣きだしました。まるでもう2度と会えないかのように...。思わずムッとしてまう私。私が死ぬとでも思ってんの? 冗談じゃない。と思ったけど、そこはやさしく「大丈夫。私は大丈夫だから...。」ちょっとこれって立場が逆じゃない? 私たちの様子を見て「心配しないで。私たちに任せてください」と言ってくれたのは、そばに居たいつかのあの若い助手の外科医でした。
手術室まで行くと、入り口のところに、たまごっち先生が立っていました。青い手術着姿がいつもよりさらに頼もしく見えます。もう不安は全くありませんでした。そして手術台に乗せられます。みんなで手順のことで何か話し合っているようです。そして「もういい。さっさと眠らせてしまおう」というたまごっち先生の声を聞いたのが最後でした。次に目が覚めたときは、すで何時間も経った後だったのですが、私にはほんの数十分間うたた寝をしていたように思えました。
何とか胃だけは残してくれた!
ガヤガヤと周りが騒々しい中、少しずつ意識が戻ってきました。私は仰向けに寝ていて、周りにたくさん人がいるようです。最初は状況が把握できずに「いまから手術が始まるのかな」なんて考えていました。一人が「これ見て、すごい汗!」といいながら私の体を拭いているようです。だんだん意識がはっきりしてくると、もう手術は終わってるんだと分かりました。私は鼻、口、そして体中いろんな管につながれて、ICUの中にいました。
しばらくまた眠ったようで、夜になっているようでした。JJと両親が部屋に入ってきました。JJが「手術はうまくいったよ。原発は全部取ったって言ってた。それと、胃は大丈夫だったよ。腫瘍がくっついてなかったって。切りとらずに済んだよ」と教えてくれました。父親は「よく頑張った。もうサンフランシスコはお前のもんだ!」と言ってくれました。
悪夢の手術前夜
そして手術の前日。この日は朝から、Ambulatory Surgery(外来手術センター)で、肝動脈の塞栓術を行いました。手術時の大量出血のリスクを減らすためだそうです。そしてそのまま入院、ICUに送られました。この日はもうJJと両親には会えませんでした。その夜の塞栓患部の痛みは、耐え難いものがありました。塞栓術ってこんなに痛いんでしょうか。それとも今までの痛み止めの乱用がたたって、鎮静剤の点滴が効かないのでしょうか。看護士さんに何度も量をあげて貰うのですが、痛みは治まりません。この夜ばかりは、あまりの痛さに一晩中あえぎ苦しみました。
手術当日
地獄の一夜が明け、手術当日の朝、病室に麻酔科医がやって来て、いろいろ麻酔の手順について説明しますが、朦朧として頭に入りません。それにしても手術前にJJたちと会えるのだろうか...。そしてとうとう時間になって、オペチームの人たちが迎えに来ました。そして私の乗ったベッドが病室を出ようとしたとき、JJと両親があわてた様子でやって来ました。渋滞で車が遅れたらしく、JJは私を見るなり「もう間に合わないかと思った」といって泣きだしました。まるでもう2度と会えないかのように...。思わずムッとしてまう私。私が死ぬとでも思ってんの? 冗談じゃない。と思ったけど、そこはやさしく「大丈夫。私は大丈夫だから...。」ちょっとこれって立場が逆じゃない? 私たちの様子を見て「心配しないで。私たちに任せてください」と言ってくれたのは、そばに居たいつかのあの若い助手の外科医でした。
手術室まで行くと、入り口のところに、たまごっち先生が立っていました。青い手術着姿がいつもよりさらに頼もしく見えます。もう不安は全くありませんでした。そして手術台に乗せられます。みんなで手順のことで何か話し合っているようです。そして「もういい。さっさと眠らせてしまおう」というたまごっち先生の声を聞いたのが最後でした。次に目が覚めたときは、すで何時間も経った後だったのですが、私にはほんの数十分間うたた寝をしていたように思えました。
何とか胃だけは残してくれた!
ガヤガヤと周りが騒々しい中、少しずつ意識が戻ってきました。私は仰向けに寝ていて、周りにたくさん人がいるようです。最初は状況が把握できずに「いまから手術が始まるのかな」なんて考えていました。一人が「これ見て、すごい汗!」といいながら私の体を拭いているようです。だんだん意識がはっきりしてくると、もう手術は終わってるんだと分かりました。私は鼻、口、そして体中いろんな管につながれて、ICUの中にいました。
しばらくまた眠ったようで、夜になっているようでした。JJと両親が部屋に入ってきました。JJが「手術はうまくいったよ。原発は全部取ったって言ってた。それと、胃は大丈夫だったよ。腫瘍がくっついてなかったって。切りとらずに済んだよ」と教えてくれました。父親は「よく頑張った。もうサンフランシスコはお前のもんだ!」と言ってくれました。
(治療歴15へつづく)
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