まだまだ体力的に厳しい日が続いています。この日は初めてサイコセラピストと会うことになっていました。JJが「まことが自殺するかもしれない」と大騒ぎしたので、ドクターパムが心配して、同じS大付属病院、統合医療科(Integrative Medicine)のスー先生(仮名)を紹介してくれていました。
たしかにJJには思い余って「(こんな辛い思いをするなら)死んだ方がましだ」と言ってしまいましたが、本気で自殺しようと思ったわけではないです。誤解させて本当にごめんなさい。反省しています。
こっちの人は、歯医者さんにでも行くような感覚で、サイコセラピストや精神科医に掛かっているようですが、私にはずっと抵抗がありました。いくら医者でも他人に自分の気持ちや感情を赤裸々に話すのは、私の性格からして容易なこととは思えなかったからです。
ちなみに、こっちでは精神科医やサイコセラピストのことを俗語で「シュリンク(Shrink)」って言うんですよね。あまりいい呼び方じゃないけど、由来はアメリカンインディアンの儀式で、戦いで勝ち取った敵の頭の頭蓋骨を抜いて乾燥させる「ヘッドシュリンキング(干し首)」から来てるそうです。「(精神科医に会うと)あなたの頭の中めちゃくちゃにされちゃいますよー」っていうことらしいです。
でもいつまでもそう懐疑的になってもいられません。いまは心をオープンにして、役に立ちそうなものは、とにかく何でもトライしなければ...。
しかし、いざスー先生に会ってみると、そんな警戒心もすっかり無くなってしまいました。背が高くてかっこよくて、優しそうで(注:スー先生は女性です)、早口のアメリカ人と違って、ドイツ語っぽい訛りで(後でスイス人だと分かる)ゆっくり話してくれるので親近感が沸きます。気づいたときは、辛くて悲しいまことの「闘病ドラマ」を自分で語りながらワンワン泣いていました...(恥)。今までどんなに痛くても、苦しくても他人の前でこんなに泣いたのは初めて。さすが「シュリンク」。
というか、今までずっと泣きたくても泣けなかったのです。「感情的になることは悪いことだ」「泣くのは弱い証拠だ」とずっと頭に叩きこまれてここまで来たため、他人に「泣き虫」のレッテルを貼られるのが怖かったのだと思います。でもスー先生はこう言ってくれました。「泣くのは決して悪いことじゃない」そして「ガンという病気は、あなたがもっと自分の感情を解放する機会をくれたのです。我慢せずに泣きなさい。」
たしかにしっかり泣いたあとは気分が晴れますね。誰かが以前言ってた「(がんは)頑張らなくていい」という意味が、少しわかったような気がします。
悪夢の手術前夜
そして手術の前日。この日は朝から、Ambulatory Surgery(外来手術センター)で、肝動脈の塞栓術を行いました。手術時の大量出血のリスクを減らすためだそうです。そしてそのまま入院、ICUに送られました。この日はもうJJと両親には会えませんでした。その夜の塞栓患部の痛みは、耐え難いものがありました。塞栓術ってこんなに痛いんでしょうか。それとも今までの痛み止めの乱用がたたって、鎮静剤の点滴が効かないのでしょうか。看護士さんに何度も量をあげて貰うのですが、痛みは治まりません。この夜ばかりは、あまりの痛さに一晩中あえぎ苦しみました。
手術当日
地獄の一夜が明け、手術当日の朝、病室に麻酔科医がやって来て、いろいろ麻酔の手順
手術室まで行くと、入り口のところに、たまごっち先生が立っていました。青い手術着姿がいつもよりさらに頼もしく見えます。もう不安は全くありませんでした。そして手術台に乗せられます。みんなで手順のことで何か話し合っているようです。そして「もういい。さっさと眠らせてしまおう」というたまごっち先生の声を聞いたのが最後でした。次に目が覚めたときは、すで何時間も経った後だったのですが、私にはほんの数十分間うたた寝をしていたように思えました。
何とか胃だけは残してくれた!
ガヤガヤと周りが騒々しい中、少しずつ意識が戻ってきました。私は仰向けに寝ていて、周りにたくさん人がいるようです。最初は状況が把握できずに「いまから手術が始まるのかな」なんて考えていました。一人が「これ見て、すごい汗!」といいながら私の体を拭いているようです。だんだん意識がはっきりしてくると、もう手術は終わってるんだと分かりました。私は鼻、口、そして体中いろんな管につながれて、ICUの中にいました。
しばらくまた眠ったようで、夜になっているようでした。JJと両親が部屋に入ってきました。JJが「手術はうまくいったよ。原発は全部取ったって言ってた。それと、胃は大丈夫だったよ。腫瘍がくっついてなかったって。切りとらずに済んだよ」と教えてくれました。父親は「よく頑張った。もうサンフランシスコはお前のもんだ!」と言ってくれました。
手術は8月14日に決まりました。まだ数週間あります。やはり、この時の難題は血中カルシウムをコントロールすることでした。ゾメダが使えなくなり、私のカルシウムレベルはまた急上昇していました。毎日のようにクリニックへ通い、多量の点滴で洗い流しますが、もう追いつきません。とうとう危険値の12を越してしまい、またもや入院して治療することになりました。
手術前に少しでも体調を整えておきたかったのに、こう24時間点滴台に縛られていてはかないません。おまけに多量の利尿剤のせいで、夜中も30分おきにトイレへ。ほとんど眠ることもできません。体がだるいし食欲もない。数日後、やっとカルシウムが平常に戻りましたが、手術までまだ2週間あります。それまでまたもつか分かりません。でも病院にいるのはもう限界です。「毎日でも、何時間でも治療に通うから、とにかく出してくれえ」と言って、強引に退院させてもらいました。
さよならウォルシュコーチ
彼もこの病院の患者さんでした。2ヶ月ほどまえに、がんセンターで見かけたばっかりでした。その時は娘さんのような人と一緒で、2階の治療室に私たちと同じエレベーターでに上がって行きました。テレピで見るよりは、すでにかなりやつれていて、気分も悪そうでした。JJも私もなぜか緊張して、声をかけることができませんでした。あのとき「Hello」くらい言えてたならなあ...。ご冥福をお祈りします。
4ヶ月ぶりのたまごっち先生のクリニック。今日はフェロードクターと一緒でした。30代半ばぐらいの男性で、おとなしそうな感じです。外科医のようですが、私の手術に立ち会う訳ではなさそうです。たまごっち先生は、私の一番最近のCTを見てきたらしく「以前よりマシになりましたねぇ。」そして「これなら死ぬ確率は5%くらいですね。20人に1人です。」本人は喜ばせたつもりのようです。そして「以前も話したとおり、これは腫瘍のDebulking Surgery (減量手術)です。すい臓の原発腫瘍をできれば全部取り除きます。少し残るかもしれません。そして肝臓もできるだけ切って転移の量を減らします。周辺の臓器もかなり切り取るので、この承諾書にサインしてください。」リストには摘出予定の臓器や部位がズラリ...「すい臓尾部、脾臓、左腎臓、左部結腸、胆嚢、肝臓の数区部...」なんかこれ前回の話より増えてませんか? 「あっ、そうそう、あと胃も全部摘出...」と言って書き足します。「胃も全部取るんですか!?」「CTで見る限り、胃も全部腫瘍に覆われてます。20%くらいなら残せるかもしれませんけど。」
たまごっち先生がちょっと席をはずした時、フェローの先生が気の毒そうな顔をして「(たまごっち先生は)全国でもこの手の手術は一番経験があるし、成功率も高いから...。」成功率が「高い」? 絶対成功してもらわないと困るぅっ!
2人が出て行った後、また30代半ばくらいの別の若い医師が早足に入ってきました。自己紹介もせずに「ちょっといいですか」といって、私の腹部を触ってチェックします。「貧血はありますか」「体重はどのくらい減りましたか」などと次々に質問してきます。そしてしばらく難しい顔をして何か考えています。そして「肝臓以外には転移はないんですね?」と念を押すような口調。「はい、来週もう一度Octreoscanをしますけど。」「わかりました。とても重要なことですからね。転移がないことは」さらに念を押して出て行きます。あとで分かったのですが、この医師が手術でたまごっち先生の助手をつとめる外科医だったのです。気になって、私の様子を自分の目で確かめに来たというような感じでした。
(治療歴13へつづく)
しかし、ゾメダの使用は即やめなければなりません。これで私の治療はすべて中止になりました。とくに、血中カルシウムのコントロールが、今までの経験からして至難の業になりそうです。はっきりした原因は未だに不明でしたが、ホークアイは膵臓の巨大な腫瘍がカルシウムを異常に生産していると考えているようでした。しかし残された方法はあまりないようです。そしてとうとうホークアイは「これだけは言いたくはなかった」といったような表情で言いました。「こうなった以上、たまごっち先生に手術を頼むのがベストかもしれません。」

