スパーキー
ここの所、ちょっとお堅い内容の記事ばかりで申し訳ないです。
そのつもりはないのですが、最近はずっと仕事と昼寝(?)ばっかりだったので、写真もあまり撮ってないし、楽しい話題もありません(泣)。
んで、もうすぐ(あと10分ほどで)こちらも9月19日になるのですが、この日は私の先代ダルメシアン、最初の最愛の息子、スパーキーの誕生日です。
もし生きていれば、14歳になってました。
なので、あと一回だけ(多分...)、お堅い記事を書かせてください。
タイトルの通り「安楽死」について。
私的でちょっとマニアック(?)な見解で、ポピュラーな意見ではないかもしれませんが、まあ読んでやってもいいよ〜って方は、以下、続きをどうぞ♪(警告:長いです)
ご存知、私の先代犬スパーキーは去年の1月12日に、慢性腎不全の闘病の末、天国に行きました。(関連記事:安楽死〜我が愛犬の最期)
最後は私の決断で、苦しんでいるスパーキーを安楽死させました。
安楽死にはもちろん賛否両論ありますが、反対の方は、やはり人為的に愛犬を死なす事に、かなりの抵抗を感じるようです。(私も決断を下すまではそうだったし、きっと誰もがそうでしょうね。)
確かに理想的には犬(そして猫やその他のペットも)が、自然に息絶えるまで見守ってあげることが一番素晴らしいと思います。しかし、それは老衰のような純粋な自然死の場合で、末期のがんやその他の重い病気で治療不能となり、苦しんでいる場合はどうでしょうか。
「それでも最期まで寄り添い、見守るべきだ」なんてことを耳にします。確かに事情はそれぞれ違いますので、深い信頼関係にある飼い主が、愛情を込めて下した結論ならば、いずれを選んだとしても、それが最良の方法かもしれません。
しかし、以前一度「最期まで一緒に苦しんで送り出してあげなさい」なんていう「キレイごと」を聞いた時は、正直びっくりして腹が立ちました。
このような事を言う人は、末期の病気の苦しみがどんなに悲惨なものかを、全く理解していません。寄り添って、一緒に苦しんで、本当に死に行く者の苦痛が癒せれば、誰も苦労はしません。
人間並の医療施設の整った緩和ケアやホスピスに入れるならともかく、大した処置もせずに、苦しむ犬を自然に息絶えるまで放っておくなんて、私には拷問としか思えません。
人間と犬は違うでしょうか? 私は肉体的な苦しみは犬も人間も一緒だと思います。
犬は人間よりも遥かに本能的なレベルで生きています。自力で食べなくなったり、動けなくなった動物は「Will to live(生きる意志)」も「QOL(生活の質)」も失い、これ以上生きている意義はありません。犬は人間のように概念的に死を恐れませんし、短い犬生、やり残した事に後悔の念(?)を抱く訳でもありません。(←まあ直接、犬に聞いた訳ではないので、100%確信は持てませんけど...汗)
それを、人間が「まだ別れたくないから、寂しいから」と言う理由で、無理矢理生かし続けているとしたら、それは犬の尊厳を無視しているし、ただ無用に肉体的苦しみを与えていると思います。
それでもやっぱり生き物を「人為的に」死なすのは不合理だと言うかもしません。
でも私は必ずしもそうだとは思いません。
私は犬ががん、心臓病、腎不全のような重い病気になるのは、長い間人間と一緒に生活して来たためだと思います。本来あるべき姿のまま、自然の摂理に従って生きている野生動物は、このような「生活習慣病」にはならないといいます。ピュアブリードは特に、遺伝的な病気を持ってたりしますが、これも人間が長年に渡って、自分たちの都合の良いように改造して来たからです。
先祖の野生オオカミが、こんなにたくさんの「持病持ち」だったとはとても考えられません。
だから、もともと完全な自然体ではない犬が、理想的な、自然な形で死を迎えることの方がめずらしいのかもしれません。人間が撒いた病気の種で苦しむ犬たちは、同じく人間の手で、苦しまないよう、安らかに眠らせてあげる事も、時には必要なのではないでしょうか。
犬の命が短いことは、誰もが最初から分かっていることです。大切なのは、今、こうして犬が犬らしく生きているうちに、後悔のないよう、精一杯の幸せを共有することだと思います。
***
再度、今年の1月に作った、スパーキーの1周忌追悼ビデオです。
注:使用した音楽の著作権の問題で、見れない国もあるようです。(アメリカでは見れるのですが)日本、もしくはあなたの国で見れなかったらご免なさい。
"I LOVE MY DOG" by Cat Stevens
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今日、まこととJJの最愛のむすこ、ダルメシアンのスパーキーが死んでしまいました。12歳と4ヶ月でした。獣医さんにお家に来てもらい、注射で眠らせてもらったのです。自分のベッドの上で、スパーキーは静かに息をひきとりました。「ごめんね、スパーキー。こんなことして本当にごめんね」私はスパーキーを抱きしめたまま、涙が止まりませんでした。
「スパーキーを安楽死させる」...もしこれが1年前だったら、こんなことは想像できなかったでしょう。少なくとも自分の手では...。でも今の私には、末期の病気の苦しみがあまりにもよく分かりました。もうこれ以上苦しまないで欲しい、早く楽になって欲しい、とただ願うだけでした。
スパーキーは慢性腎不全を患っていました。病状はこの数ヶ月で急速に悪化し、スパーキーはやせ細り、下痢、嘔吐を繰り返していました。そしてとうとう腎臓機能が停止し、1週間の入院、点滴治療を受けましたが、結局機能は回復しませんでした。獣医さんからも見放され、家に戻ってきた時は、すでにひどい尿毒症を起こし、脚の神経は全部麻痺して、全く動けませんでした。その夜、私は必死で看病しましたが、スパーキーは一晩中うめき苦しんでいました。次の朝、私はとうとう獣医さんを呼んでしまいました。彼が注射器のピンクの液体を、スパーキーの血管の中に入れると、ほんの数秒もたたないうちにスパーキーは逝ってしまいました。
今心残りなのは、この1年間、私は病気のためにほとんどスパーキーと遊んであげることも、散歩に連れて行くこともできなかったことです。私が動けなかった時、スパーキーはただじっとそばに座っていました。他人が家に入ってくると、警戒して私の周りから離れませんでした。そして今、私の体調がやっと回復に向かい始めたと思ったら、スパーキーはもういません。まるで「もうまことは大丈夫だね。じゃあ僕は行くから」と言って去ってしまったようです。
スパーキー、今頃は天国でおいしいものをたくさん食べてるといいなあ...。
1995年11月、初めてスパーキーが我が家にやって来た時です。
ボール遊びが大好きなやんちゃ坊主でした。
12年間の楽しい思い出ありがとう、スパーキー!!