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2024/03/19 12:18 |
治療歴11~そして顎骨壊死、もう後がない!
ちょうど同じころ、また別の異常が現れていました。口内の下の歯茎の内側から、小さな骨が突き出してきたのです。最初は変なところに歯が生えてきたのかなと思っていました。しかし、どんどん露出してくるので、なにげなくドクターパムに話したら、それはOsteonecrosis of the jaw(下顎骨壊死)だと言うのです。そして原因は高カルシウム血症の治療につかっているゾメダの副作用。すぐにOral Surgeon(口腔外科医)を紹介され、会いに行きました。レントゲン検査の結果、幸いまだ大事に至ってなく、しばらく抗生物質を飲んで様子を見ることになりました。

しかし、ゾメダの使用は即やめなければなりません。これで私の治療はすべて中止になりました。とくに、血中カルシウムのコントロールが、今までの経験からして至難の業になりそうです。はっきりした原因は未だに不明でしたが、ホークアイは膵臓の巨大な腫瘍がカルシウムを異常に生産していると考えているようでした。しかし残された方法はあまりないようです。そしてとうとうホークアイは「これだけは言いたくはなかった」といったような表情で言いました。「こうなった以上、たまごっち先生に手術を頼むのがベストかもしれません。」
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2007/06/28 17:54 | Comments(0) | TrackBack() | 過去の記録2~治療編
治療歴10~肺血栓発覚、治療中止

この日の朝、私は久しぶりにルンルン気分でした。最後の抗がん剤治療から3週間たって、副作用も落ち着き、今日はそのささやかなお祝いとして、JJと一緒にシアトルまで一泊旅行に行くことになっていました。ダウンタウンのホテルに泊まって、翌日はSAFECO FIELDで大好きなのイチローのマリナーズ観戦。おまけに対レッドソックス戦で登板は今年メジャーデビューの松坂! この世紀の対決(?)は見逃せません。

するとそこに電話がかかってきました。ドクターパムからです。昨日、臨床試験の最終結果として撮ったCTから、なんと肺血栓が見つかったというのです。それで、午後からすぐにクリニックに来るようにと言います。そんな…飛行機の時間があるのに…。しかしドクターパム曰く「たとえ近場でも、飛行機には乗らない方がいいです」とのこと。

確かに、イチローと松坂対決は見たい。けど命はもっと惜しい。泣く泣くシアトル行きは断念です。せっかくのチケットも飛行機代も無駄になってしまいました(涙)。

肺血栓はアバスチンの副作用である可能性が高いと言う事でした。これから最低6ヶ月、毎日朝晩、抗血栓の注射(LOVENOX)を打ち続けなければいけません。ホークアイは、これ以上アバスチンの治療は続けられないと言いました。これで、私は正式に臨床試験からはずれることになりました。

redsoxmariners.jpg
結果は2-1で11回の裏、マリナーズのさよなら勝ち。観たかったよぉ。

(治療歴11へつづく)


2007/06/26 17:37 | Comments(0) | TrackBack() | 過去の記録2~治療編
治療歴9~臨床試験の経過
ひどい副作用には悩まされたものの、臨床試験自体は順調に進んでいました。夜汗や微熱がほぼ解消されて、腹部の圧迫もすこし和らいでいました。ホークアイの診察でも、お腹の辺りがやわらかくなったと言われ、私の期待は高まりました。

そして前回の肺炎騒動以来、胸の痛みが気になっていたので、予定より早くCTを撮ることになりました。まだ最後(4回目)の治療の前でしたが、その時、すでに5%ほどの腫瘍の縮小が確認されました。ホークアイもドクターパムもその結果にとても満足のようでした。

そういうことで、この治療に効果がでていると判断され、私の臨床試験の参加期間が延長されることになりました。といっても、4回目の投与のが終われば、アバスチンとゼローダのみに切り替え、しばらく様子を見るそうです。あのオキサリプラチンさえなければ、副作用もぐっと減るでしょう。私はそれだけでとても幸せでした。
(治療歴10へつづく)

2007/05/24 10:03 | Comments(0) | TrackBack() | 過去の記録2~治療編
治療歴8~副作用の恐怖 その2
二度目の救命棟

そして数週間後、次の抗がん剤投与日でした。今回は何が起きてもパニクらないと心に決めておいたのですが、帰りの車の中で、早くも吐き気と腹痛に襲われます。後部座席で横になっていると、今度は背筋が異常にぞくぞくしてきました。そして、顔からザーッと冷や汗がでてきたかと思うと、突然体中がガタガタ震えだしたのです。まるで氷水の中にいるような耐え難い寒気。初夏の真昼間に車内のヒーターを最大にしますが、それでも震えは止まりません。JJは、急いでS大付属病院に引き返します。緊急救命棟へ運ばれ、しばらくすると悪寒は治まりました。しかし、今度は顔や体の皮膚が焼けるように熱くなり、計ると39度以上の高熱です。もう苦しくて体が動きません。引きずられるようにして検査をさせられ、解熱剤を飲み、その後しばらくベッドでぐったりしていました。レントゲンの結果、肺炎が見つかりましたが、さっきの苦しみと関係があるのかよくわかりません。数時間後熱は下がりました。結局、また大騒ぎするはめになってしまいました。


オキサリプラチン(Oxaliplatin) について

今回の治療ではこのオキサリプラチンが一番毒性が強かったように思えます。吐き気や下痢の他に、手先やつま先の神経が過敏になり、冷たい物に触れなくなるという独特の副作用があります。投与直後数日間は、手袋をしていないと、ビリビリして冷蔵庫にも触れませんし、水で手も洗えません(お湯しか使えない)。足の裏も冷たい床を歩くとビリビリきます。口の中も敏感になり、冷たいものが食べれなくなります。個人差はあるかもしれませんが、私は一年たった今でもまだ後遺症が残っています。寒くなると手先や足の裏が凍りついたようにしびれ、冷たいものを口に入れるとかならず顎がキーンと痛みます。かなり不快です。ホークアイからは「半永久的な神経障害」だと言われました。ということはもう一生直らないのでしょうか。

(治療歴9へつづく)

2007/04/13 09:55 | Comments(0) | TrackBack() | 過去の記録2~治療編
治療歴7~副作用の恐怖 その1

fear.jpgその頃、私はまだかろうじて歩ける状態が続いていました。腫瘍による腹部の圧迫や背痛がひどく、持続性のある鎮痛剤(MSコンチン)と即効性のあるパーカセットを毎日サプリのように飲んでいました。このせいで便秘がひどくなり、軟便剤や下剤を飲んでは下痢、便秘を繰り返していました。また、過度の貧血でいつも倦怠感があり、食欲もなく、体重は減りつづけていました。血中カルシウムは、ゾメタ(骨吸収抑制剤)や点滴を使ってなんとかコントロールしている状態でした。

臨床試験が始まると、処方薬の量はさらに増えました。吐き気止め4種類、下痢止め、ステロイド、抗生物質、白血球増加剤、精神安定剤、不眠剤などなど。それでも抗がん剤による嘔吐や下痢、倦怠感はひどいものでした。副作用を抑えるために飲み続ける薬がさらに新たな副作用をもたらす。悪循環の始まりでした。

初めての救急車(注:トイレネタを含みます)

1回目の抗がん剤投与のあった次の日のことです。激しい嘔吐と下痢の苦しみははるかに想像を超えるものでした。それも両方一度に「同時多発」攻撃です。トイレで散々あえぎ苦しんだ後、力尽きて床に這いつくばっていました。すると今度は腹部にさらに強烈な痛みが走ります。信じられないほどの激痛です。静脈瘤が破裂したのかと思いました。のた打ち回ってる私を見て、とうとうJJが救急車を呼んでしまいました。気づいたときは、救急隊員の人が何人も部屋の中にいて、一人はベッドの脇にある私の処方薬の山をチェックしています(オーバードーズだと思ったのでしょうか。)そして、そのまま私はタンカに乗せられ、近くの病院まで運ばれました。

結局、病院で、DILAUDIDをIV投与されると痛みはすぐに引きました。念のためにレントゲン写真を撮ってみると、医者は過度の便秘のせいだと言うのです。そんな馬鹿な、さっきあれだけ上下からゲーゲー出まくったのに。しかし、彼曰く、下痢はたまった宿便の隙間からでも押し出てくるらしいです。なるほど、でもなんか納得いきません。あの気絶しそうな痛みが単なる「便秘」のせいだったなんて。

(治療歴8へつづく)


2007/03/24 16:57 | Comments(0) | TrackBack() | 過去の記録2~治療編

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