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2018/02/25 06:48 |
治療歴6~臨床試験開始(2007年3月)
Chemo.jpg手術がやりたかったとは言え、たまごっち先生の「(失敗すれば)死ぬかもしれない」という言葉はかなり引っ掛かっていました。それに臨床試験と言っても、大腸ガンの治療としてはすでに承認されているレジメンで、全く未知の新薬というわけではありません。もしこれであの巨大な腫瘍が縮んでくれたら手術の危険性もかなり減るかもしれない。結局私はそっちの方に掛けてみることにしました。

参考までに臨床試験の内容は以下のとおりです。

♦ 使用する薬剤 (Xeloda, Oxaliplatin、Avastin)
♦ OxaliplatinとAvastinは3週間置きに1度、IVで投与。合計4回
♦ Xeloda(経口薬)は2週間毎日服用し、1週間の休憩。合計4回

主治医のホークアイの他に、執行役として、彼のフェロードクター、パムとリサーチャーのハイジ(アルプスの少女?)が付きました。

私はそれまでの抗がん剤の経験は、K病院で1ラウンドだけやって止めてしまったので、髪の毛は抜けたものの、それ以外は大した副作用もありませんでした。それで、今回もあまり副作用のことは深く考えていなかったのですが、これが後でとんでもない目にあうのでした。
(治療歴7へつづく)
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2007/03/22 15:59 | Comments(0) | TrackBack(0) | 過去の記録2~治療編
治療歴5~S大学付属病院での初診
1eab3e0e.jpg
[写真]S大学付属病院がんセンター。吹抜けの広々としたロビーはピアノやハープの生演奏も聴けて、まさに癒しの空間。お金のある病院は違います。


保険騒動にも片が付き、晴れてS大付属病院に移ることになり、私はすぐにたまごっち先生の手術を受けるものと思ってました。しかし、最初に紹介されたのは、今後、私の担当主治医となる腫瘍内科の先生、ホークアイ(仮名)でした。彼はいわゆる膵内分泌腫瘍研究者のひとりで、以前K病院時代に、セカンドオピニオンをもらうために一度会ったことがありました。たまごっち先生よりは少し若めですが、彼も教授レベルのえらい先生のようです。礼儀正しく紳士的で、たまごっち先生とはまるで大違い。

彼との初診には、紹介者のたまごっち先生もやって来ました。気配り上手なホークアイは使う言葉や表現にも慎重です。しかし、そんな細かい配慮に全く気づかないたまごっち先生は、いつもの調子で「早く手を打たないと、持ちませんよこれはー」なんて言っています。ホークアイが思わず苦笑いするのを私は見ちゃいました。

この時、ホークアイは私がすぐに手術を受けることは賛成ではなかったようです。もちろんたまごっち先生の前ではっきりとは言いませんが、「もし腫瘍が小さくなれば、手術の危険性は低くなる」という理由で、膵内分泌腫瘍の臨床試験に参加することを提案しました。製薬メーカーがスポンサーになるので薬剤等はすべてタダです。抗がん剤嫌いのたまごっち先生もこの試験のそれまでの成果は高く買っているようでした。(もちろん詳しく話したりしませんが、たまごっち先生の反応はわかりやすいので。)とりあえず、その日は資料をもらって家でよく考えることにしました。

2007/03/09 17:40 | Comments(0) | TrackBack(0) | 過去の記録2~治療編
治療歴4~さよならK病院
sayonara.jpgいずれにせよ、私にはまだ保険という大きな問題がありました。よほど特別な事情がない限り、K病院グループの外では保険が使えません。とにかくK病院と交渉をし、例外を認めてもらうしかありません。早速担当医に会いに行って、S大付属病院で手術をしてくれる医者が見つかったので許可して欲しいと頼みました。担当医は信じられないといった表情で首を振り「こんな状態で手術なんて聞いたことがない。そんなことしたら命を縮めるだけだ」と言いました。そして「その外科医の考えてるのはカウボーイ気取りのむちゃくちゃな手術だ」とも言い切りました。しかし、私はもうすでに彼の元で治療を続けていく自信はありませんでした。結局、自分が決める権利はないからいうことで、正式に嘆願書を提出することは同意してくれました。しかし、数日後K病院から返ってきた返事はこうでした。「手術がしたければ、K病院の外科医がします。だからS大付属病院での手術は許可しません。」

私とJJには、K病院グループがS大付属病院に莫大な手術費を支払いたくないので、方針を変えたとしか思えませんでした。でもとにかく、担当になる執刀医には会いに行きました。私とあまり年の変わらないような若い先生でした。複雑なオペを何度も経験したそうで、腕にはかなり自信があるようでしたが、たまごっち先生の提案したような手術は初めてのようでした。私は手術のことはよく分かりません。きっと彼女も優秀な外科医なのでしょう。でも私にとって、この命に関わる危険な手術を頼むのは、たまごっち先生以外に考えられませんでした。後日、正式に手術を断ったとき、その若い外科医は、本音でもこぼすかのように「その方が賢明だと思います」と言いました。

涙の辞職願


そのころ、JJが朗報を持ってきました。JJの会社で加入している保険はS大付属病院と提携していて、私が仕事を辞めて今の保険を失えば、扶養家族としてすぐにJJの保険に移れるということでした。そして私のようなケースは、既存の病気の治療であってもすぐに保険が適用されるということを、JJの会社の人がちゃんと調べていてくれました。

私は治療のため、ずっと会社を休職していましたが、必ず元気になって職場に復帰したいという気持ちは、これまでのつらい時期を乗り切る原動力でした。職場の皆も応援してくれていました。だから会社を辞める事は私にとってとても悲しいことでした。でも背に腹は変えられません。私は2月いっぱいで正式に会社を辞職しました。その頃、抗がん剤で毛が全部抜けて「バンダナ頭」になっていた私に、上司は「元気になったら何時だってここに仕事があるからな」と言ってくれました(感激)。

2007/02/28 17:30 | Comments(0) | TrackBack(0) | 過去の記録2~治療編
治療歴3~手術の可能性
がんと始めて分かったとき、まず最初に言われたのは「手術は不可能」ということでした。私はその言葉を鵜呑みにしていたので、その後、手術のことなど全く考えていませんでした。でもJJは密かに(?)手術の情報を集めていました。一般的に、がんは「転移がある場合は切らない」というのが基本のようですが、進行の遅い膵内分泌腫瘍に関しては、腫瘍の"Debulking"つまり「減量手術」がQOLの向上と延命にかなり有効だという見解もあるそうです。JJはこの説の第一人者で、過去に複数の膵内分泌腫瘍患者の手術を行ってきた、有名な外科医がここサンフランシスコベイエリアのS大学付属病院にいるという情報を得て、とにかく話だけでも聞こうと私を説得しました。これでK病院の外で医者に会うのは4人目でした。お金のことも気になります(ちなみに1回につき$400~$1,000費やしていました。)でも外科医に会うのはは初めてです。なにか新しい事が分かるかもしれない。今の治療方針に行き詰まりを感じ始めていた私は、もう一度だけ望みを掛けてみることにしました。そしてこの先生(以降「たまごっち」先生)に出会ったことは、その後の治療の展開を180度変えることになりました。

たまごっち先生

たまごっち先生は今まであった先生たちとは全く違ってました。2007年2月2日の午後、廊下の方でやたら大きな話声がするなあと思いながらJJと診断室で待っていたところ、現れたのがその声の持ち主、たまごっち先生でした。大柄で、年齢は60歳くらい。かなりのベテランのようです。午前中にオペでもやったhumpty-dumpty.JPGのか、薄目の髪が潰れてくしゃくしゃ。まるでどっかで聞いた外科医のステレオタイプを絵に描いたような人でした。「タフ。大胆。ちまちました診察は嫌い。三度のメシよりオペ大好き。見て、切って、取って治す!」みたいな(笑)。

もちろん(?)患者への気配りも苦手のようです。入ってくるなり「あなたのCT見ましたよ。かなりひどいですねぇ」とずばり。そして歯に衣を着せない言葉はつづく。「このままだともうすぐ静脈瘤が破裂するでしょう。内出血が止まらなくなればもうおしまいです。こうやって死ぬ患者が多いんです」...。では、肝心の手術は? 「はっきり言って、このCTを見て手術をやると言い出す医者はあまりいないでしょう。でも、私ならやります。」へっ、やれるんですか? 「もちろん危険を伴う大手術です。死ぬかもしれまん。でもうまくいけば今よりもずっと楽になれますよ。やってみる価値はあります。」

厄介なことに、私もJJもこの「たまごっち」先生をすっかり気に入ってしまいました。粗野な性格でも、どこか誠実なところがあります。悲観的になっていた私は「活」を入れられような気分でした。

2007/02/14 18:29 | Comments(0) | TrackBack(0) | 過去の記録2~治療編
治療歴2~担当医との確執
K病院での抗がん剤治療が始まったものの、私の健康状態は急降下していました。入院中に一度下がったカルシウムもすぐにまた上がり始め、毎週のように長時間点滴で洗い流し、その場しのぎをしていました。夜汗もひどくなり、夜中に目を覚ますと全身びしょ濡れで、何度も震えながら着替えをしたのを覚えてます。全身の痛みを止めるため、モルヒネの経口薬を使い、そのため下剤も乱用していました。食欲はなく、体重も減少する一方で、すでに担当医は「抗がん剤の効果もあまり期待しないほうがいい」とかなりネガティブ。私は初めて「死」を間近に意識するようになりました。

とはいっても、ガンのことなど何も分からない私。今の担当医を頼って、彼の指示通りに治療を続けるしかありません。ひとつの理由として保険のことがありました。当時、私の入っていた保険はHMOと言って、特別な例外がない限り、K病院グループの医療施設でしか使えないものでした。K病院グループといえば、カリフォルニアでは最大級ですが、膵内分泌腫瘍のスペシャリストは一人もいません。でもそれは無理もないことです。アメリカ全国を探してもこの稀な病気の「専門家」は数えるほどしかいません。そのほとんどは大きな研究施設のある大学付属病院などに属しています。そしてそんな保険の利かない所で治療を受けるなど、桁違いに医療費の高いアメリカでは、私のような「庶民」には無理です。私はすでに、どうせ治療法なんて限られているだろうし、どの医者に掛かっても同じだ、と心の中で割り切っていました。

しかしJJは違ってました。JJは私の担当医がこの病気に対する知識も治療経験も最低限しかないことに、かなり不満を持っていました。とくに気に入らなかったのは、私たちがせっかく高い「相談料」を払って持って来た専門家のアドバイスに担当医が耳も傾けなかったことでした。彼に言わせれば、専門家なんて、自己の付加価値を上げるために、自分で勝手にそう名乗っているだけだと言うのです。確かに一理はあるかもしれません。でも彼より治療経験があることは確かです。これを機にJJの担当医に対する反発はさらに露骨になって行きました。今の治療をただ頑なに信じたかった私は、JJの態度を恨めしく思いました。

でも今考えると、その時半ば諦めていたのは私の方だったと思います。JJには何が何でも私にはできる限り、最良の治療を受けさせたいという信念がありました。彼のこの強い思いがなければ、私はあの当時の危機を抜け出せなかったと思います。

2007/02/01 14:33 | Comments(0) | TrackBack(0) | 過去の記録2~治療編

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